シブヤン海で栗田艦隊を支援する事ができなかった基地航空隊では、
遂に、一機一艦の体当り攻撃、「特攻」が企図され、海軍では
海兵出身の関行男大尉率いる敷島隊はじめ3隊が編成されており
その会敵機会を狙っていたが遂に、零戦5機からなる敷島隊が
護衛空母セント・ローに突入した。
セント・ローは轟沈した。
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またセブ島から発進した特攻隊も、空母カリニン・ベイに突入しこれを撃破した。
もとより栗田艦隊を掩護するために一時的に企図された特攻であったが
この成功により、陸軍航空も含めて以後恒常的に継続される事になる。
特攻については、また別の機会で書く事にする。
レイテ湾突入直前でブルネイに帰投した栗田艦隊であったが、
内地へ回航する際、榛名の僚艦である戦艦金剛は敵潜水艦の雷撃を受け沈没する等
更に被害を出す事になるが、照雄さんの乗る榛名は、遂に日本へ生還する。
しかし日本へ生きて戻った栗田艦隊の戦艦の多くは、その後活動する為の石油なく、
呉で浮き砲台として係留されるしかなかった。
この戦いを最後に日本海軍の艦艇部隊は、壊滅した。
一方、フィリピンで死闘を繰り広げている陸軍は
尋常でない反撃をみせつつも、米軍の物量に押され圧迫されていた。
リモン峠、オルモックなどなど、詳しく知りたい人は大著、
大岡周平の「レイテ戦記」をお勧めする。
日本軍はレイテで約85,000人の将兵が戦い、約80,000名が斃れた。
そしてここでも、飢餓と病の為に多くの命が失われた。
フィリピン戦線では部隊ごと全滅した例が多くあり、
しかも戦局を把握している士官はほぼ全員戦死しているなどの理由で、
レイテの戦いの記録は多くが米軍の記録による。
それでも生き残った将兵は山中に潜み、自活を続けながらゲリラ戦を展開した。
そのころ祖父照雄さんは、内地へ生還し、祖母テイさんと結婚している。
というか婚姻の許可願を出している。
海軍では、下士官以上になると結婚は所属鎮守府を経由して海軍大臣に
認可されないと、結婚できなかったのだ。
レイテ沖から帰ってすぐ見合いしたとかそういう事ではないだろうから、
戦死を覚悟した照雄さん、奇跡的に生還してテイさんとの結婚を決めたのではないかと
ボクは孫でありながら何も知らないので、想像するしかない。
そして主戦場は遂に日本本土である硫黄島へと移っていった。