沖縄で死闘を続ける同胞を、制空権、制海権を失った状態でどう支援するか。
答えは陸海軍の残存航空戦力を総動員した一機一艦体当たりの「特攻」しかなかった。
海軍軍令部総長の及川古志郎は天皇にこう上奏した。
「海軍航空の総力を挙げて特攻作戦を展開します」
天皇は、こういったと伝えられている。
「飛行機だけか、海軍に船は残っていないのか」
この下問で、大和以下、水上部隊の特攻が決まった。
戦艦「大和」、軽巡洋艦「矢矧」、歴戦を生き抜いた駆逐艦8隻。
そしてレイテ沖海戦同様に航空機の掩護はなく、
片道の燃料を積んで沖縄へ突入するという
生還を期さないものだった。
その作戦会議上、当然だが艦隊司令長官の伊藤整一中将はじめ
各艦の指揮官は納得がいかない。
「航空機の援護が無い以上、途中で全滅する事は明らかである。もはやそれは作戦と言えるのか」
「日本国民の最後の財産である大和を、そのような無謀な作戦で失っても良いのか」
という意見が噴出する。この水上特攻を参謀として立案した、神大佐は、
概ねこういうことを言った。
「『大和』が突入することに意義があるのである。
日本人の象徴である大和が柱島あたりに浮かんだまま米軍に生け捕りされるようなことがあれば、
それはすなわち日本人の精神の死であり二度と再起する事はできなくなる。
絶対に大和魂を発露して沖縄へ突入すべきである。それに可能性は低くとも
沖縄に辿りついて、海岸に乗り上げて大和の巨砲を一発でも打ち込めば、
沖縄で戦う同胞をどれだけ勇気づけるか」
しかしそれは要するに精神論であって、伊藤中将は
「3000名以上の命を預かる身として、それは納得できない。どうかこの作戦の、
軍令部における本心をお聞かせ願いたい」という問いに対したまりかねた三上中佐が
「一億総特攻のさきがけとなっていただきたい、これが本作戦の眼目であります」
この言葉に伊藤中将もついに「分りました」と頷き
大和以下たったの十隻は遂に、死出の旅に出撃した。
会敵前夜には汁粉が振る舞われ、将兵は酒を飲み歌うもの、泣くもの、
激しく日本の将来を論じ合うもの、この作戦の是非について語るもの、様々であった。
そして甲板上の黒板には、誰が書いたか「死ニ方用意」と書かれていた。
戦闘前夜のエピソードとして、
この水上特攻で戦死する事が軍人としての誇りであるという海兵出身の士官と、
これは無駄死にであるとする大学出の予備士官達との間で乱闘一歩手前の
討論が交わされるが、臼淵大尉のこの一言で一同は納得し、決意を固めたという。
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「進歩のない者は決して勝たない
負けて目覚める事が最上の道だ
日本は進歩という事を軽んじ過ぎた
私的な潔癖や徳義に拘って、本当の進歩を忘れてきた
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか
今目覚めずして救われるか 俺達はその先導になるのだ
日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃあないか」
(『戦艦大和ノ最期』より抜粋、原文カタカナ)
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この悲壮な出撃に、米軍の指揮官スプルーアンスは、騎士道精神というべきか
艦隊決戦で正々堂々勝負をつけようという意思を持っていたが機動部隊の指揮官
ミッチャー中将は航空機で決着をつけることに執念を燃やしており、
遂に大和以下の水上特攻部隊に対し数百機の米軍艦載機が殺到した。
艦隊はハリネズミのように対空火器を装備していたが次々に襲い来る艦載機の攻撃に
『矢矧』沈没、駆逐艦も次々と被害が増していく中で大和は魚雷、爆弾あわせて二十発近くを
体に受けながら対空砲火を打ち続け、遂に船体が真っ二つになって大爆発を起こし、
九州坊ノ岬沖、北緯30度43分、東経128度04分の位置にその姿を沈めたのであった。
大和の最後はいくつかの戦記があるが、
爆弾と機銃弾の雨と降る中で、覚悟を決めた兵たちがゆっくりと煙草を回し喫みしたり
ビスケットを齧ったり、死ぬと決めた人たちの悠々とした姿が描かれており
それはどんなフィクションも叶わない。
実際に大和の艦橋で戦闘に参加し生き残った吉田満氏の「戦艦大和ノ最後」等は
一度読んでおいた方が良い。全て漢字とカタカナの旧仮名だけど。
特筆というか伊藤長官は、大和沈没の直前に自分の権限で作戦中止を発令し、
生き残りの駆逐艦に漂流者を救助して佐世保へ帰投せよ、と命令を出してから
沈みゆく大和の長官室に入り、内側から鍵をかけたことである。
現場指揮官が独断で作戦中止を発令したのは、後にも先にもこの時だけである。
そしてこの死闘を生き抜いた駆逐艦の冬月、雪風、初霜及び涼月が佐世保軍港に生還した。
ちなみに「雪風」は開戦時から稼働していたにも関わらず、
全く被弾せず生き抜いた奇跡の駆逐艦であり、宇宙戦艦ヤマトに出てくる
キレイな女性「雪」はこの雪風からきているとボクは信じている。
この水上特攻に、もし「榛名」が組み込まれていたら、
照雄さんは戦死して今ボクは存在しなかったかもしれない。
しかしその時の日本には、戦艦を二隻稼働させるだけの石油も、無かったのである。
明治以来精強を誇った日本の海軍艦艇は、これで本当に、壊滅した。