(第七回)戦わざれば亡国、戦うもまた亡国


日中の戦火が拡大する一方、表向きポーカーフェイスで中国国民政府軍を裏で支えるアメリカとイギリス。
戦闘機とパイロットまで出して共産党軍を支援するソ連。
しかも前年昭和14年には満州ノモンハンで近代化されたソ連軍との戦闘が起き
多くの命を失ったことでソ連との緊張もかつてなく高まったりする。

陸軍では「北進論」(ソ連を叩く)、海軍では「南進論」(南方に打って出て資源を確保する)が
ぶつかり、最終的に国家のトップ会議ではその何れかも決定する事ができずに時間が過ぎていく。

そしてギリギリ追い詰められた日本は遂に、アメリカ・イギリスが蒋介石を支援するルートを
遮断するため北部仏印に進駐する。

これは、当時のフランス、ヴィシー政権との外交を経て取られた措置であり
別に泥棒的に押し入ったわけじゃない。

なんだけど、アメリカとイギリスはヴィシー政権と好意的じゃなかったし、日本め、生意気な、
みたいな感じでムカっときて蒋介石への支援を俄然継続。

更に日本は、もし戦争になった場合、石油を確保する必要があるため
これも外交の結果として南部仏印に進駐する。結果、アメリカは日本への輸出を制限、石油もストップ、
米国内の日本資産も凍結する。ギリギリ追い詰められた日本はそれでも外交で戦争を避けようとするが
アメリカから突き付けられたハル・ノートは「お前ら、日露戦争以前の状態に戻れや」というものであって
日本は到底、承諾する事が出来ないものであった。

但しこのハル・ノートには「これは試案だぜ」というスタンプが本当は押してあったらしい。
この「試案」という言葉を誰かが握りつぶして内閣や大本営に報告されたため、
これがアメリカの最後通牒だと解釈され、さらにそれに対する内閣の態度表明の仕方が
まずくて、意図せず欧米通信各社が「日本政府はこれを無視する」と翻訳されてしまった。

だが最後まで、昭和天皇はじめ陸海軍の上層は戦争を避けたい。だがそれを誰も言い出さない。

陸軍としては大陸で中国と泥沼の戦いをやっているし、英米と開戦となっても戦力は割けない。
だから「英米と開戦となればそれは海軍の戦争である。よって海軍から、この戦いに勝ち目は無いと
上奏してほしい」といった寝技も出るが、海軍が「勝ち目無いです」と言ってしまえば
それでは何のための海軍か、ということで言う事はできない。

しかしこのままでは欧米の経済封鎖により日本はジリ貧で最終的には物資が底をつき、
経済も破綻するであろう。

ここに、海軍軍令部長永野修身の、

「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。
しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。
しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。
戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、
我等の子孫は再三再起するであろう。」

という言葉が出現するのであった。

照雄さんが、やっと退院して佐世保海兵団で勤務しているころの事である。

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