(第二十二回)国破れて何某かは残った


アメリカは日本を弱体化させる為にせっせと農地解放したり財閥解体したり
(おかげで母方の家はご先祖が少しずつ広げてきた田畑を農地解放でむしり取られてしまった)
(奇しくも2.26の青年将校達がやろうとした事と同じじゃないか)、
色々やってきたんだけど(結構おおらかに)、後になって

日本をヤワな国にしてしまうのは危険だ、
再武装させて共産圏への防波堤として機能させた方が良いぞと、
方針転換したアメリカは日本に再軍備を促して警察予備隊という
自衛隊の前身を作った。

なのでここで矛盾が起きて、
日本を骨抜きの農業国にしようとして平和憲法作ったけど、
やっぱ武力を持たせにゃなるめぇ、て事になると、
「専守防衛」の軍隊ということになってしまうので、
じゃぁ直接侵略されてる訳じゃないけど、親分のアメリカが喧嘩
(あるいは暴力で喧嘩の仲裁)してるときに何すれば良いか、
みたいな色々細かい事が出てきて今、困ってるのは当然だ。

とにかくアメリカにとっては日本を占領しておくよりも早く独立させて
再軍備した独立国になってもらう方が都合が良かった。多分ね。

だから占領は早めに切り上げようという事で、
昭和27年にサンフランシスコ平和条約が発効した。

これは日本の独立を認めて連合国の占領を終了させるもので
晴れて日本は国際舞台に復帰したわけなんだけども
それで戦争裁判でA級戦犯になった人たちは、この条約に基づいて、
関連11か国の同意を得て昭和31年に赦免された。

要するにA級戦犯に指定された人たちは国際的にも、日本の法規上も
「戦犯」が取り消され名誉が回復したという事だ。

だからその後、元A級戦犯の重光葵は鳩山内閣の副総理になって
賀屋興宣も池田内閣の法務大臣になったし、岸信介(安倍普三の爺さん)は
総理大臣にもなった。死刑になった人たちも「刑死」から「法務死」と改められた。

なので事実上A級戦犯てのはその時点で存在しなくなってるわけで、
心情的にその人たちを許せないという人たちもそれはいるだろうけど、
何かにつけて隣国から色々と文句を言われるのは筋違いである。

だから靖国神社に首相が参拝しても、アメリカやイギリスやオランダとか
日本と戦争した国々でもそういった国は何も言わないわけだ。

「なんだよお前の国、腹立つなぁ」とか言うとそれは「内政干渉」になるからだ。

まぁ中国はサンフランシスコ平和条約に署名しなかったんだけどね。

日本人なのにごちゃごちゃ言う人は、一回靖国神社に行ってみるといい。
思想とかそういうのは関係なくて、ここで手を合わせるのは
当たり前じゃねーかという、気になるはずだ。

だいたい戦争裁判(極東軍事裁判)てのが眉唾で
昭和20年の東京大空襲なんかは、日本の家屋が木造だから燃えやすい事を研究の上で
爆撃機の機銃も取り外して焼夷弾を腹一杯(日本家屋攻撃用に最適化までしてあった)
詰め込み、風上から投下して東京一体を無差別爆撃で
焼け野原にするという作戦を推し進めたカーチス・E・ルメイなんか
最悪の殺戮者なんだけど、官軍なので裁かれる事は無かった。

原爆を投下した事も無差別殺戮のなにものでもない。

それで話を戻すとアメリカは「早く再軍備しなよ」と日本を促すんだけど、
当時日本のボスだった吉田茂は考えた。

「今の日本は再軍備なんかしてる余裕は無い。そんなことしたら国民に大負担をかけてしまう。
今はアメリカに守ってもらう事にしてもっと日本人が金持ちになったらその時考えれば良いんだ」

ということで安全保障条約が結ばれた。旧安保と呼ばれるやつだ。

だから占領後もアメリカに基地を提供して駐留してもらう事になったというわけ。
沖縄は、アメリカへの長期貸与という形を採用してね。

そして外敵に対する脅威はアメリカの傘に守ってもらう事にして
アメリカは極東にニラミをきかせることができてメリットあるし
ということでそのままの体制が今も続いている。

その間、日本は一生懸命ビジネスに打ち込んで経済大国となり、
頂点を体験して一気に下降し、今はこんなことになっている。
勿論ボク含め圧倒的なマトリクス的庇護社会に生きてきたので、ボケてしまっている。

経済の再生がなぜこんなにうまくいかないのかは、
植草先生やベンジャミン・フルフォードなんかの書籍に詳しく書いてある。
正しいか分らんけど、ボクはだいたい本質っぽい事が書いてあるんじゃないかと思う。
因みにボクは経済本をたくさん読んでるわけではない。

再軍備が良いか悪いか、あんまりじっくり考えた事は無いけど、
当時の日本のトップたちは、「永久に日本は再軍備すべきではない」
としてアメリカに保護を頼んだのではなくて

「今は日本の経済再建が最優先だ」ってことで軍事面ではアメリカの傘に入った、てことだ。
それを踏まえて今どうあるべきか問うことは無駄ではないと思う。

まぁそんなこんなで戦後があり、今がある。

なんでボクがこういうノートを書いたかというと将来娘に聞かせるためだが
そもそもボクなんかも昔はイギリスかぶれで日本てヤな国だなぁと思ってた。

それは当時のというか、現代の日本を10代後半のボクの目からみてそうだったんだけど
それはつまり、戦後、豊かさってのをちょっとだけ誤解して突き進んでしまった社会が
イヤだったのであって日本人としての矜持をそもそも持ってない人間として育ってしまってた。

自分の国の歴史に誇りをもってないというか、そもそも知らなかったからだ。
漫画日本の歴史、みたいなのは人並みに読んだけどね。

自分の国の歴史を知らなかったり誇りに思わない民族は、
あんまり長続きせずに滅びちゃうと思う。

それは要するに、郷土の歴史とか爺ちゃん、婆ちゃんはじめ
ご先祖の事を知らないという事である。

なので家系図を自分の手で作ってみた。
井上家の伊三次さんから数えて俺は6世代目、
母方原口家の久次郎さんから数えて7世代目にあたる。

父方の伊三次さんが幕末か明治の最初に熊本の地に移って約140年以上、
母方は江戸時代から、ずっと熊本の地に生き続けて、
ボク雄一郎がポッと東京に移動して関西人の妻と結婚した。

だからボクたちの子どもは、東京生まれ東京育ちとして大人になってゆく。
実家と言えば番地の他に「マンション名+部屋番号」である。
それはボクの選択の結果なのでアレだとしても、いやむしろそうだからこそ、

子どもが自分のルーツというものを自然と意識しながら生きていけるようにしたいと思う。
困難にぶつかった時に、代々の血の流れというか命のリレーと言うか
そんなものを意識できるのとできないのとではやっぱり違うと思う。

それは親として、教育(子供の可能性を広げてあげるという意味での)と
道徳を身に着けさせるというここと並んで、
人間が命のリレーを営々と続けていく中で最も重要な事なんだと思う。

お金なんてものは残しても残さなくてもあんまり関係なくて、
教育と道徳とご先祖を敬う気持ち、これだけでいいんじゃないかと思う。