(第一回)ペリー~神風連


井上家の祖、伊三次さんがまだ紀州藩士だったころの嘉永6年、ペリーが浦賀にやってきて「お前ら開国してほしいんだけど来年も一回来るからよく考えとけや」と、こうやっていったん帰国。翌年、日米和親条約締結。開国の運びとなるが世界はバリバリの帝国主義真っ盛り。大国の清がアヘン戦争でイギリスにボコボコニされたのをはじめアジアは欧米列強の植民地支配に。江戸幕府と朝廷は「やばいこのままだと日本も植民地にされる」ってことで公武合体とか色々知恵を出し合うんだけど意見は一つにまとまらずものすごく物騒な世の中になる。

「攘夷!攘夷!」てことで薩摩は単独でイギリスとドンパチ戦争をやるんだけど残念ながら敗北。しかしこれをきっかけに、イギリスは薩摩を見直して両者急接近。このときまだ10代だった東郷平八郎も戦に参加し英国海軍の強さを体験する。

長州もイギリス&アメリカやオランダとかの連合軍と下関で戦争やるも圧倒的な返り討ちにあい、欧米列強に武力で勝ち目のない事が明らかに。加えて絶対攘夷論の立場にあった孝明天皇が死去した事により「ここは敢て一旦開国し国力を養う事が先決である」といった論調が強くなったりとかしつつ

勝海舟とか坂本竜馬とか西郷隆盛とか大久保利通とか新撰組とか公家の岩倉具視とかそういう歴史に名を残す人たちが入り乱れて色んな事がおこった結果、時の将軍徳川慶喜は朝廷に政権を返上する事を決定。ここに大政奉還が実現し明治維新と呼ばれるものの第一歩が始まった。

「俺たち、これからは日本っていう一つの国になって力を合わせていくぜ」みたいなことで明治新政権は廃藩置県、廃刀令とか次々に断行していくんだけど旧士族にとっては全然面白くない。だって要するに幕府が無くなってリストラにあったうえに刀まで持つ事を禁止するとか、そんなバカなことがあるか、ということでボクの故郷熊本で「神風連の乱」という士族の反乱がおき、熊本県知事が殺害されその時一緒に床に入っていた女の人が実家に宛てて打った電報「ダンナハイケナイ、ワタシハブジ」というのは今で言う流行語みたいになった。

後の神風特攻隊はこの神風連から名を継ぐ事になる。

この時すでに、ご先祖の伊三次さんは紀州藩解体後、佐幕の立場をとった大藩だった熊本に新天地を求め、庄屋であった洲崎家の長女クニと結婚。そして100年以上後、洲崎家の子孫である達也と、ボク雄一郎は同じ年にこの世に生まれる事になる。

“(第一回)ペリー~神風連” への2件の返信

  1. 手傷を負い、実家に「無事」の電報入れたのは
    失礼ながら、訂正させていただきます…
    県令と同衾して居た人では無く、鎮台司令官の種田少将の新屋敷の邸に寝ていた“こかつ”のことと思われます

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